先日、昨年度の不登校数等の調査結果を受けて、不登校に関する私見を投稿したその日の地元紙に「不登校29万人超 学校の欠陥突き止めたい」と題する社説が掲載されました。
僕はその記事の中で、「メディアが報道しなければ誰も関心をもちません」と書きましたが、地方においてそれなりの権威をもつ新聞社が、このようなタイトルの社説を書けば、これを読んだ読者(多くは高齢男性でしょうが)は「不登校は学校や教員に問題があるんだな」と思うでしょう。
しかしながら、前回の記事で書いたように、不登校は多くの場合、家庭環境が原因です。教育に限った話ではないですが、現場の実態を知らずに上から目線で報道するメディアというのは本当に厄介です。しかも、このような記事は一定の影響力を与えます。メディアリテラシーなき読者は簡単に社説に書いてあるとおりの思考になります。
さて、当社説はタイトルこそ「学校の欠陥」としているものの、よくよく読めば、そればかりも書いていません。とは言え、タイトルがそうなっていれば、読解力なき読者はタイトルしか記憶に残らないでしょう。これはまさにミスリードです。
当社説では、前回の記事で僕も言及した、不登校になった理由と割合を列挙しています。そのうえで「こうした事態がなぜ生じるのか。児童生徒の日常を家庭と学校が双方から見つめ、専門家らの助言も得ながら個別に支えなければならない」と書いていますが、双方から見つめる必要はありません。学校はほぼ関係ないからです。
また、不登校生の約4割の家庭が専門家の相談や支援を受けられていなかったデータにも触れ、「学校に「外部の目」を入れる取り組みなどをさらに進め、きめ細やかな相談・支援体制を整えるべきではないか」とも書いています。
これについては、ずいぶん前から学校は外部との連携をしていますが、多くの場合、家庭が拒んだり、きめ細やかな連絡がとれないことが多いのです。実態を知らずに「べきではないか」なんて気楽に書けるのはいい身分だなと思います。
極めつけは、「学校が「通いやすい場所」になっているかも注視したい。過度な決まり事や指導で児童生徒を締め付け、息苦しくさせていないか。そうした状況が常態化しているのであれば、不登校に歯止めがかからないのは当然のことだろう」とあります。
体罰や暴言及びそれに準ずる厳しい指導が鬼のように叩かれる昨今にあっては、「児童生徒を締め付け」ている学校はほとんどないと思います。また、校則を含む学校の決まりごともかなりゆるくなってきています。時代錯誤も甚だしい意見です。
とは言え、教室という異空間に居づらいと感じる子供がいるのは現実です。これは教員のせいではなく、子供たちが作る雰囲気です。
これについては次回の投稿で僕自身の経験も踏まえて書いてみようと思います。