2月14日(水)に開催された「質の高い教師確保部会(第9回)」の「議事録」が先日公表されましたので、今回はこれについて書きたいと思っていますが、3月13日(水)には第10回の同部会が開催されており、資料も公開されています💦 第10回の部会については次回書くことにします。
さて、第9回部会では「給特法」の議論がなされたようだと以前の記事では書きましたが、議事録を読むと、教職調整額を具体的に何%にすべきだなど、そんな発言は見当たりません。なぜ、そんなふうに書いたのか、自分でもよく覚えていませんが💦、何かの媒体で見たのだと思います🙇
改めて会議資料を見ると、議題は「教師の処遇改善の在り方について」となっていますので、もちろん、「処遇改善」をメインに意見交換がされています。
中でも、「高度専門職」という言葉が多く飛び交っています。教師を「高度専門職」としたうえで、処遇をどのように改善するのか、ということについて各委員の方々がそれぞれの立場から発言されています。
個人的には、教師を「高度専門職」と呼ぶことに違和感はありますし(自分の仕事がそんな大それたものではないと思ってしまいます)、出席されている一部の委員も「教職が高度専門職に相当するかといえば、十分ではない点もございます」と発言されています。ただ、本部会の資料の一部に「高度専門職である教師」と記載されていますので、文科省の位置づけとしては、教師は「高度専門職」なのでしょう。
では、教師が「高度専門職」と呼ぶにふさわしいかについてですが、まず、その言葉から発せられるイメージと、勤務の実態がかけ離れている感があります。「高度専門職」と聞けば、大学や現場等で一定の期間、十分な研修等を積んだ上で、試験をパスした者のみが専門的な業務に従事し、一定の成果を出すことができるというようなイメージをもちませんか?
確かに、教師は大学の教職課程において、教員免許取得に必要な単位を履修し、教員採用試験にパスしなければなりません。しかしながら、採用時点においては、その技量において大きな差があるというのが、僕個人の経験から感じていることです。なぜなら、教員免許取得に必要な大学の教職課程は単位習得が容易であり、運転免許のような技能は必要なく、然るべき時間を掛ければ誰であろうと取得できます。
そのため、採用試験をパスし、晴れて「教諭」となった人が同じような技能(授業力や学級経営力など)を有しているか問われれば、自信をもって「イエス」とは言えません。若くても相当の技能をもっている人もいますし、残念ながら、授業を成立させきれず、学級崩壊につながってしまう状況をつくってしまう方もいます。そもそも、厳しい言い方をすれば、「学級崩壊」が日本全国のあちこちで起きている時点で、教師は「高度専門職」とは呼べないと思います。他の職業、例えば医師にたとえれば、手術を失敗することと同じになるのではないでしょうか。
僕は、これまでに学校現場以外の行政職を4年間経験したことがありますが、行政職は採用後、あまり規模の大きくない簡単な仕事を担当し、その仕事の仕方などを直属の上司に丁寧に教えてもらいながら、また、チェックを受けながら仕事を進めていきます。そして、経験年数に応じて、徐々に規模の大きい仕事を任せられるようになります。
これに対して教師は、採用後すぐに学級担任をもち、授業をすることになります。当たり前と思うかもしれませんが、同じことを採用20年以上の教師がすることもあります。つまり、採用後まもない若手であろうが、採用20年を超えたベテランでも同じ仕事をするということです。これが教師という仕事の大きな特殊性だと思います。こんな仕事は他にないのではないかと思います。
人間誰しも、経験により仕事が上達していきますので、採用1年目の教師と20年超のベテラン教師の技能には大きな差があります。20年超のベテラン教師で、なおかつ、授業や学級経営などを完璧にこなし、子供同士のトラブルも円満に解決できる教師を「高度専門職」と呼んでいいのかもしれませんが、採用1年目の教師を「高度専門職」とは呼べないと思います。
読者の方々はいかがでしょうか? 「高度専門職」という呼称を用いて持ち上げてもらうことはありがたいのかもしれませんが、能力の実態や、給与体系、社会全体からの見方等含めて、僕個人は教師は「高度専門職」とは呼べないと思います。このような呼称を用いることで給与の増額を進めていこうという考えなのかもしれませんが、財務省及び社会の理解は得られないと思っています。
ちなみに、文科省のサイトは以下のとおりです。